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愛知県立芸術大学校舎群とキャンパス環境保存に関して現在の実態をお知らせ致します。 県、大学は「改修」と言う言葉を巧みに使い、将来建替えに近いプランである事をうやむやにしています。 実際、現在公開されているプランでは校舎群の空間構成の全方向を塞ぐかたちになる事が予測出来るし、新音楽棟建設による環境負荷ははかり知れません。 なぜ最も自然が育まれた場所に建設しなければならないのか、それを巧妙に「改修」と思わせる意図は何処にあるのか。私達があえて「破壊」「建替え」と言う根拠をここに掲載して行きます。
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 千葉大学院 教授の北原先生のお話をお聞きする機会が名古屋でありました。テーマは「都心における街づくり」と言うものでした。正直、経産省が論じる様な開発ありきなお話であったなら、些かの反論など行おうと勇んで出かけたものの、先生が開口一番仰った言葉は「充分活性している名古屋に、改めて街づくり論が必要でしょうか」…と言うものでした。いやはや、出ばなをくじかれたと言いますか、「まったくもってその通り!同感です。」となってしまいました。
 講義の中核は「ストック利用のリノベーション」と「市民を巻込んで動員をはかるサンデーイベント」です。経済優先の視点で「街づくり」に期待をよせる方々にとっては、旨味の無い話であったことでしょう。端的に言って「人が集って考え→面白さや場所への興味が生まれる→人がさらに集まる→投資による箱物が作られる→結果として活性する」と言うのが先生の論でした。ところが、あの場にいた多くの方は、「新しい商品や仕組み、場所を提供することで人が寄る」と言う概念の集まりであった様な気がします。
 少なくとも街の文化、景観、環境、コミュニティー、そして経済を俯瞰で捉え、独自の市民意識を持った様々な分野の市民が集い考える事から始めなければ、北原先生の論理を体感する事は困難であろうと思います。産・官・学で進もうとする街づくりや活性化には無理があるのです。 経済活動で成立する「産」は当然利潤を追求します。一方存在を優位にしようとする「官」は、より産に近付きます。「学」は言うまでもなく"お抱え御用学者"が用意されます。もはやこの三位一体の体制で、斬新な発想や文化を生む事は出来ません。建てては壊す箱物で埋もれる街は長く人に愛される事はありません。お祭り騒ぎで集客しても精々2〜3日で人は去るでしょう。
 まずは市民一人ひとりが街を見つめ、街を好きになれる様にする事から始める必要があるのではないでしょうか。そうすれば自ずと街を考え、街に集まろうとするはずです。

uses-it.org/nagoya branch
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